フランスはどんどん変わっていく、この街も。

*近所にRER線のメガネ橋が。最後の2年間弱はほぼ毎日乗ってました。
RER線が怖いとはよく聞きますが ここはまだパリ市内と同じ感覚で利用できました。
でも日曜の早朝や夜間は×でしょう。

今日は今住んでいる街での「春祭り」がありました。

毎年恒例の催し、もうここも 11年にもなるけど毎年日にちは違っていても、不思議なことに大体において好天に恵まれ るのです。
思い出すのは今からちょうど13年前、パリ到着直後、週末になるとアパート探し候補地を求 めてあちこち訪れていました。当時はパリのサンジェルマン地区の小さな小さなワンルームに単身仮住まい。

もう狭くて狭くておかしくなりそうでした。だだっ広いのもおどろおどしいのですが 狭すぎるのも精神的に良くないと、その時改めて思い直しました。

日本で住んでいた部屋も6畳間+ミニキッチン+ユニットバスの広さはあったの ですが、このパリ一等地の部屋は本当に狭かった。・・・・これはいつか記事にしますね。

初めはとても満足

さてパリに到着して2週間目の5月の最後の週末、今度はいつも使っているメトロ路線の 終点あたりまで(なんと言ってもパリのど真ん中は家賃が高くてとても住めないので) 様子を見てみようと、ぶらぶらとやって来て見たのですが、それがこの街に来た初めの 第一歩でした。

その日はちょうどこの「春祭りの日」、お日様がきらきらする中、古物市やいろんな 素人露天商がいっぱいお店を広げていて歩行者天国の通りは楽しそうな人で一杯、
「ああ、こんなところに住みたい」
と思ったものでした。

ただ、東京あたりと違って気に入った地区でも必ず住める貸家がぽんぽん有る訳でも ないのです。 不動産の店頭には圧倒的に<売り物件>。それぞれ気の遠くなる値段がついてますね。

それで単なる憧れになってその時はすごすごと狭い仮住まいに戻ったのですが、この街の 雰囲気がとても気に入ってしまったのです。他の問題ありありの郊外を訪れた時とは まるで違った<健全>な普通の善良な働くミドル・アッパークラスのフランス市民の街、という印象がありました。

・・・その後色々あって、これは全て住環境および近隣住民との軋轢なのですが、 (なにせ騒音に無頓着)ある日突然今のアパートが見つかったのでした。

住民環境の変化

あの初めての春祭りから2年少し後のことでした。 本当に初めは良かったです、やばい地区など足を踏み入れただけでなんとなくわかるの ですがそんなことは絶対無く、また16区あたりの高級すぎる雰囲気とも違う・・・。

それがそれが徐々に<あの雰囲気>が定着、この4、5年特に顕著になっています。
今年の春祭りも今年はほぼ”移民の古着市”の形態をみせていたそうで、ダンナからは
「ちょっと見たけどくだらないから行くのよそう」
になりました。 味のある古物商は来なくなったのでしょうか。

こう言ったら 、
「それは差別だ、住人は住人で隣人なのだから目くじらたてるのはおかしい」
「自分もアジア外人の癖に酷い物言いだ」
などと非難されそうですが、やはり現地に来ないとこの感覚はわかりませんよ。

具体的に表現すると 夏の暑いさかりにスカーフを頭からかぶってよちよち歩くでぶでぶ○○○系の女性、もう見ているだけで気分が落ち込みます。

・・・あれあれ、ここは西欧だけど、あの連中だけは別世界をそのまま持ち込んでいる、と。

現在行政のビッグパリ計画がどんどん進んでいるため、地下鉄・郊外電車の接続、 路線延長があちこちで進んでいて、それ自体は便利になるということでいいのですが、 問題移民が多い郊外の諸地域との<交流>がより活発になって大変なことになりつつある、 それに気が付いていないのか、それともいまや多数派になりつつある、旧植民地系の 人々の利益を無視できなくなったのか政治家達がどんどんプロジェクトを推し進めて 行っているのです。

(政治家って基本クルマ移動だろうから普段メトロやRERなんかには乗らない
よねえ・・・)

もうすぐ私達はこの地から居なくなります。やはり長年居たので離れるのは寂しいですが、 あと5年後はどうなっているのか・・・。 その頃にはもっと郊外のもっと 問題のある地域との鉄道路線延長が成立していて街を歩く人々の顔ぶれもかなり 変わっているのでしょうね。

パリに限らずフランスの都市は皆この傾向を抱えています。 他の大多数の日本人と同じく私がフランスで暮らすまで知らずにいた事、そして一番危惧している事なのです。

タイトルとURLをコピーしました