20年後の風景

*蝋人形のダイアナさんです。そっくりですがやはり”人形”ですね。

8月も明日でおしまいになります。

ここのところの出戻り猛暑も明日は一転して初秋らしい気温になるとの予報です。
特にパリがあるフランス北部はこのまま秋になりそうな感じですね。

さてそんな秋の初めの日はダイアナ元皇太子妃がパリで突然に亡くなってから20年目に当たります。

私はこの知らせを日本で知りました。スペインでのあて無き職探し(といってもオファーすらない)に疲れて帰国した後、放心状態から半分引きこもりに近づいていた頃です。その後のロンドンでの葬儀の様子も日本のTVで流れました。ネットなどまだまだ普及はしていない頃で何にしてもTVのニュースが頼りでした。2人の王子が世界中が注視している中でショックと悲しみに耐えながら葬列を歩く姿はなんとも言えない映像でした。
(元夫のチャールズ皇太子の神妙さは一部演技も入っていたようですが 😆 、息子である王子達の表情は本物ですからね)

アルマ橋とアルマ広場

事故の場所はパリ8区のアルマ橋のちょうどたもと、セーヌ川と並行して走る自動車専用道路がその部分で地下トンネルになっているのですが、そのトンネル内。

猛スピードで走行するVTC(ハイヤー)がバランスを失って左側の側壁に激突、右側の助手席に居たボディガードを残して3人がほぼ即死状態、ダイアナさん死亡が搬送先の病院の医師によって実際に確認されたのは31日早朝です。

偶然でしょうか、そのトンネルの上はアルマ橋の上の一般道路とおよびセーヌ川沿いの歩道と一般道路、地下鉄の駅を結ぶところで、道路が交差するところに小さな広場(アルマ広場)があり、そこには事故の8年前の1989年にアメリカから送られた「自由の炎」の像があるのですが事故後はそこがいわば”パリのダイアナさんの記念広場”の様になりました。

自由の炎。後方に地下鉄の駅が見えます。 ©selectfr.eu

またこれも偶然に私のパリ生活の最後の2年間は事務所移転のお陰で通勤にこのアルマ・マルソー界隈を通ることも出来たので、毎朝このオブジェの広場を通って職場に通っていました。
なにせフォトジェニックな区域ですからね!それで結構何枚も写真を撮ってありましたので一部をご紹介します。

トンネルが終わって道路が地上に出てくる地点にはもちろん転落防止に壁が作ってありますがそこには訪れた人達が書いたオマージュがたくさん、普通の落書きと違って清掃の手は入っていません。

トンネルの出口の上。 ©selectfr.eu

英語で書かれたものが多い。 ©selectfr.eu

このモニュメントには常に花や何かが供えられています。もちろんあまり古くならない内に掃除されてしまいますが、毎年8月末は観光シーズンの最中ともあって観光客中心に写真や花やロウソクがたくさん手向けられています。それからモニュメント周辺にめぐらされたチェーンにはおなじみ 南京錠がたくさん!
この南京錠、パリの観光地の橋ではあまりに多く取り付けられ過ぎて重みで手すりが落ちる危険が発生した為、橋の手すり共に撤去されてしまったとか。

これらは2014年の状況ですが、TVで見たところ今年も同じ感じで色々飾られていました。

南京錠も! ©selectfr.eu

下に彫られたテキストは元々あったものでダイアナさんとは無関係。 ©selectfr.eu

2015年。左上の写真と同じ位置から撮ったものですが南京錠が激増え!左上にトンネルから出てきた車が小さく見えてます。 ©selectfr.eu

20年後

それから20年の月日が流れ、その間ダイアナさん達を死に導いたこの自動車事故の原因について様々な調査、憶測、仮説が流れて、そして今も続いています。

当時はパリ警察の調べで<事故でした>との決定が下されてそれがオフィシャルになっています。しかしダイアナさんが亡くなった1997年以降それこそ急速にインターネットが一般普及したのですが、ネット中心に陰謀説も計り知れなくささやかれています。

特に今年はきっかり20年目に当たるので今週はTVでいくつも特集番組が組まれていたりまた雑誌でも特集版が出たりしていますが実際問題それらは追悼特集の範囲内、息子のウィリアムとハリーの両王子も、
「母が亡くなった本当の事情が知りたい」
と語ってはいますがしかしこれが明らかになるのはいつになるのでしょうか。
もう一度20年の経過を待つことになるのでしょうか、それとも永遠に封印されたままなのでしょうか。

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